2019年 北海道電車紀行。~8/12編 その1~

8/12です。

今回の旅行は、私の生涯でもめったにない夏の9連休を使って計画をしました。

最終日も、いつもならば早めに帰って寝る時間を取りますが、電車の旅は自分で運転しないで良い分、きっと疲れはあまりないだろうという推測の元、最終日の夜に帰宅する計画にしてあります。

仕事が終わった日である8/8を入れれば4日目ですが、実質まだ丸二日間しか旅行に費やしてないという計算になります。

巡った観光地も、室蘭の地球岬と、稚内宗谷岬&ノシャップ岬。

なのに。

なのにですよ?

 

朝起きた時に、思わず口にした一言がコレです。

「ん・・・疲れてるなぁ。」

 

精神的にも、「すんげぇ旅行してぇwwwww」という渇望感を満たすための旅行でもあり、年甲斐もなく体がウズウズして楽しみでしょうがなかった北海道旅行です。

が、3日目の朝にして割と満足状態。

どういうことだってばよ!?

 

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この日の、グランドホテル藤花の客室から見た、名寄市街地。やっぱり曇天 orz

 

この日は、遠軽に住まう昔の友人、C氏と落ち合い、C氏の運転で地元観光地をご案内いただけるという予定になってます。

電車旅行はちょっとお休みです。

が、名寄から遠軽って割と遠いのですよ。

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旭川から北に上がった場所が名寄、旭川から東に向かって、かくっと線路が折り返して南に曲がっている角が遠軽。(北見の手前です。)

調べてませんが、名寄から旭川が大体100㎞弱。

旭川から遠軽がやっぱり100㎞弱あります。

なので、私も旭川に電車で向かい、C氏もマイカーで旭川を目指していただき、旭川の駅で合流しようという計画になりました。

 

この相談中に、C氏に言われました。

C「らなっく氏、私よりも北海道観光してるから、もう案内する場所無いんだよね。」

ら「まぢすかっ!?」

 

今でこそ行きませんが、今住んでいる栃木は、私は割とあちこち旅して観光して回ったと思ってます。

・・・まあ、北海道広すぎて、行く場所によっては日帰りがムリゲーですからね。

比較できない例外的なものなのかもしれません。

 

この日は、悠々と09:30頃チェックアウト。

前日、稚内セイコーマートで購入しておいたおにぎり2個を朝ごはんに食べ、朝シャワーの後に荷物の最終整理です。

今日、どっかのヤマト運輸か郵便局で、明らかな不要荷物を家に発送して少しでもスーツケースを軽くする計画がありますので、残すもの、送り返すものを分けておく必要がありました。

昨夜、無意識のうちに片づけてあったのが確かなのか確認をしましたが、びっくりするほど確かでびっくり。

洗顔や朝シャワーで使用した持参アメニティ系もしまい、冷蔵庫やお風呂に置き忘れがないか再確認。

いつも部屋を出るときは、「お世話になりました。」と一礼してます。

退室が遅いときは、部屋掃除のおばちゃんに見つかったりすることがありますが(汗

 

2泊お世話になりました、グランドホテル藤花(ふじか)。

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この写真はチェックインの時にも貼りましたが、撮影はこのチェックアウトの時でした。

連泊で、スーツケースを置くことができた事で、稚内観光が実に身軽でした。

ものすごく助かりました。

ホテルもきれいだったし、スタッフの対応も丁寧で好印象。

値段が安いのに、「グランドホテル」という名前に恥じないクォリティでしたよ。

稚内方面の観光には、名寄は便利なのでまだ利用させていただく候補として、心のメモに残しておくことにいたします。

 

旭川行きの汽車は、10:01出発。

お昼は、合流後に予定しているので途中で買い物は・・・お茶だけ確保。

私はもう少し早く出ても問題なかったのですが、9時台の汽車だと10時には旭川に到着することになり、C氏がそれに合わせるように行動すると、7時前に起きて8時前には出発をしないといけないと聞いて、この時間になりました。

このスケジュールでも、9時にはC氏は自宅を出発しているはずです。

 

C氏は、出会ったときは埼玉県所沢市に一人暮らしでサラリーマンをしてました。

が、腰のヘルニアが悪化して一人暮らしが成り立たなくなり、泣く泣く会社を辞めて、実家の遠軽に戻って実家住まいになってます。

遠軽どころか、C氏の自宅には何度かお伺いしておりますが。

まー、私の山形の田舎にも匹敵する素敵な田舎っぷりです。

遠軽のほうが民家が多く、C氏の自宅は駅のそばである分、田舎度(謎)は低いですが、真冬に孤立しかねない部分や、ヒグマやエゾシカ、キタキツネなどの野生動物の豊富さは敵わないので、きっといい勝負でしょう。

 

そんなこんなで名寄の駅に到着。

名寄とも、今日でお別れです。(大袈裟)

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名寄の第二ホームから北・・・稚内方面を望む。

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第一ホームから跨線橋を渡ると、第二ホームにて私が乗る予定の旭川方面の汽車が待ってました。

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第二ホームから第一ホーム方面を見ると、稚内方面へ向かう汽車が見えました。

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第二ホームから駅舎側じゃないほうを見ると、よく空港で見かけるような地名の地文字が、

 

そして汽車は定刻にて出発進行。

名寄は良い町でした。

北海道旅行の拠点としては、札幌、旭川が便利なのですが・・・海外からも観光客が押しかけ、売り手市場なのでしょうね・・・宿代がとにかく高い!

旭川とか、一か月前の状態では2万円以下のホテルは皆無でした。(むろんジビホ)

その点、名寄は稚内に少し近いこともあり、稚内に向かうにしても旭川出発よりも一時間位遅く宿を出発できますし、宿泊費用は安い。

駅のそばにコンビニがありますし、ツルハドラッグも割と遅い時間まで空いているので、最低限度物資や食料の仕入れに困るようなド田舎ではないですし。

宿の予約状況で、苦肉の策でしたが結果オーライだった気がします。

・・・始発の旭川から乗らないと、運が悪い場合は名寄ですでに満席の為、稚内方面は立ち乗りになったりする恐れがあるのが怖いところですが・・・。

高い旭川の宿を取るくらいならば、名寄に止まって特急使った方が安いかもしれませんね。

・・・鈍行で行く旅にこそ価値を感じる場合は話が変わってきますが。

そんな訳で、連泊の拠点にしただけの名寄ですが、私にとって割と気に入った町となりました。

歳を取り仕事もドロップアウトして終の住処を探すときは、こんな町が良いのかもしれないとか思ったり思わなかったり。

 

ここからは名寄から旭川までのダイジェストとなりますが、あんまり写真撮ってないんですよね。

塩狩峠で動画を取ってた部分もありますし、どうにも曇天で景色が映えないのです。

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士別駅。名寄よりも南で割と大きな駅です。有人駅であり、ホームも2つあって跨線橋もありました。

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剣淵駅。ここも跨線橋がある立派な駅でした。

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和寒(わっさむ)駅。跨線橋がある駅しか撮影してない疑惑?

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塩狩峠を上っている最中です。

この塩狩峠の歴史には、国内だけではなく、とある理由で海外でも有名になった事故が存在します。

いろんな人が紹介してますし、調べれば簡単にわかることではありますが、ひょっとして初めて知る人もいるかもしれませんのでご紹介させてください。

ただでさえ文章が長いブログなので、詳細はURL参照にて。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49402

 

要約すると、明治時代の終わりに、今の私同様、名寄から旭川に向かう汽車がありまして。

この塩狩峠を上っている間に、一番後の客車の連結が離れてしまい、一両だけ坂道に引っ張られて暴走をしてしまいます。

この時の客車は満員だったそうです。

鉄道職員の一人がブレーキで止め切れないことが発覚した後、線路上に身を投げて自分自身の体をブレーキにすることで車両が停車し、大惨事になることを防いだという内容です。

この事故での死者は、身を投げた鉄道職員一名だけ・・・と記録にはあります。

この鉄道職員がクリスチャンであったこともあり、有名な作家の三浦綾子が「塩狩峠」という本を書いて有名になりました。

 

ただ、鉄道職員が身を投げたことでブレーキの作用があったのかとか、事故を防ぐための自己犠牲の精神で起こした行動だったのか?  大惨事に至れば責任を追及されることになるので、それから逃げるための自殺であったのではないか? とか、まあ、色々な推測が飛び交ってます。

 

三浦綾子著の、「塩狩峠」では、実際に亡くなった鉄道職員の本名を彷彿とさせる「架空の人物」を作り上げ、クリスチャンとして自己犠牲の尊い精神を全うしたことによる尊い行動であったことを書き上げてます。

実際に塩狩峠を通ってみた感想ですが・・・鉄のレールの上に鉄の車輪で移動し、極力摩擦を軽減することで効率よく移動することを前提として設計された鉄道には、大変厳しいルートであることは感じ取れました。

上り始めは、まっすぐに結構な勾配を上り始め・・・しばらくするとルートが畝って多少は傾斜を軽減する・・・そんな感じでした。

なので、傾斜に差し掛かる前に勢いをつけて、まっすぐの傾斜はできるだけ惰性をうまく使って上り、速度が下がったころにカーブなどを利用してヂーゼルエンジンのパワーで登れるように・・・と、設計したのではないかと推測できました。

同じルートを、8/10の夜にも通ってますが、座れない状態で披露にて一杯いっぱいだった上、塩狩峠周辺はもう真っ暗で全く景色がわからなかった状態ですから、さっぱり記憶がありません。

 

今の鉄道の安全は、各地で犠牲者や被害者を伴う残念な事故が発生し、その事故を二度と起こさないようにする努力と、「起こさないように対策しなければいけない」という社会的責任、周囲の監視、法整備によるコンプライアンスの順守などの強制力により多額のお金が使われて積み上げられていった土台の上に成り立っていることを、今利用する私たちは忘れてはいけないと思うのです。

・・・こうして現地に訪れたり、調べたりすることで初めて知ることも少なくないので、忘れるどころかそもそも知らないことだらけなのは、苦労したり怪我したり、犠牲になった先達には申し訳ないような気がしないでもないです。

が、日本は世界的に狭いといわれていても、一般人が社会人としての責務を全うしつつ、全国津々浦々を巡ってそういう歴史のすべてを知ることはちょっと難易度が高すぎると思うのです。

多少は勘弁してもらいたいというのが本音です。

しかし、知ってしまったら、礎となった先達には手を合わせることで感謝を伝えたい。

 

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塩狩駅。峠を上りきったところにあります。

とりあえず峠を上り切り、塩狩駅に到着しました。

駅のそばには、三浦綾子の旧宅を復元して塩狩峠記念館が運営されてます。

あと、身を投げて殉職した鉄道職員の顕彰碑があります。

時間があれば立ち寄りたいところですが、時刻表的な理由と、約束などもあり断念。

また北海道に来た時には、立ち寄り候補に加えたいと思います。

駅では数名が下りていき、同じくらいの人数が乗ってきました。

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古い駅名の看板が残る塩狩駅舎。

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停車中の汽車から進行方向のホームの様子。

 

塩狩駅から先は撮影してません。

というわけで、旭川駅に到着です。

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旭川駅にて、乗ってきたキハ系の汽車。

 

綺麗になった旭川駅の改札をくぐると、懐かしい顔が待ってました。

この日会う予定の、C氏です。

お元気そうで何より。

 

愛車を、旭川駅とつながって建てられているイオンの駐車場に置いてきたというので、イオンでなんか買うか食べて駐車場代を浮かせようという話になりました。

ら「ここ、クロネコとか郵便局の拠点あります?」

C「クロネコがありますね。」

 

昨夜のうちに整理した、「家に送り付ける荷物」を、クロネコの拠点で買った段ボールに詰めて発送手続きを取りました。

この運賃でも、「〇時間駐車料金無料」の対象になったので、イオンでは他には何も買わずに出発し、旭川駅を後にします。

 

5000文字近い上、一度7000文字までぶっ通して書いたのにPC電源落ちて消えた悲しい過去があるので、この辺で次のページに行きます。